2016 印心—ナーラパ劇場アジア・ポカ・台湾
夢困(むこん)・霊燃(れいねん)・慈悲・顏變(がんぺん)
智慧(ちえ)・明覚(みょうかく)・印心(いんしん)
現代の心と印心する芸術禅修劇場 —— 内なる光を探し求める旅の物語
文/荘 慧秋(しょう けいしゅう)
千年前、十一世紀の初め、悠々と流れるガンジス河のほとりにて、偉大なるヨーガ行者ティロパは、弟子ナーラパと向き合い坐し、「耳より耳へ、心より心へ」と真理を伝え、「ガンジス大手印(マハームドラー)」の禅修法門がここに始まった。
千年を越えて、この試練と苦行に満ちた精神の旅路を芸術の力で蘇らせるべく、演出家・呉素君は多領域の芸術家たちとともに、漢詩吟誦・書・絵・舞踊・特技・シタール・インド太鼓・笛・映像など多彩な表現を融合し、簡潔でありながら詩的に流れる美意識によって、哲学と霊性の交差する芸術禅修劇場を築き上げた。
「初めは瀑布のように激しく、 中ほどはガンジスの流れのように緩やかに、 終わりには母子のように合流する。」 唐美雲の深く優雅な吟誦、屋希耶澤によるシタールの旋律、奚淞の書が呼応しながら、千年を超える心の旅が幕を開ける。
物語を紡ぐ奚淞は静かに登場し、二千五百年前、仏陀が悟った「四つの聖なる真理」の道、一千年前、導師を求めて苦難を歩んだナーラパの旅、そして今日、二十一世紀の私たちが仏法にふれ、感動と歓喜に震える心のありようへと語り継ぐ。 この道は、時を超え、途切れることなく続いている。 心は心へと印され、人は時代を越えてなお、命の本質を問う祈りをやめない。
しかしながら、仏法とは「心の法」であり、その心の究極の本質は、形もなく、見ることも触れることもできず、言葉で語ることもできない。 演出家・呉素君は、この語り得ぬ道を描くために、舞踊という無言の言語を選び、ナーラパが求道の途上で経験した迷いと葛藤を身体表現で描き出す。
ナーラパは貴族の血を引き、美貌と知性に恵まれた若者だった。早くから世俗の愛と名利を断ち、仏法に心を捧げ、やがて名高い講座教授として人々の尊敬を集める。しかしその頃の彼は、理性と知識に囚われ、法を頭で解釈することに傾き、まるで夢の中で真剣に叫んでいるかのように、幻に真を求めていた。
劇中「夢困(むこん)」の場面では、舞踊家が夢幻の人生に囚われた混乱と徒労を、激しくも詩的な動きで描く。観る者は、まさに無明に迷う衆生の姿をそこに見る。
やがて、醜く老いた一人の老婆が現れ、ナーラパに明師の存在を指し示す。 その瞬間、彼の魂に火が灯る。ナーラパは迷いなく地位や安穏を捨て、名もなき旅人となって、導師ティロパを求めての長い苦行の道を歩み始める。
「霊燃(れいねん)」の場面では、唐美雲の吟誦が《苦聖諦》を静かに、しかし深く詠い上げる。苦しみこそが、道に入るための唯一の扉。魂が苦悶に焼かれながら、それでもなお退かぬ時、世界の華やかさは業火のごとき炎と化す。そして、その炎を越えて行くためにこそ、智慧の光が必要となる。
師を求める旅とは、虚妄なる自我を一層ずつ脱ぎ捨て、生まれ変わるための、苦しくも尊い変容の過程である。
〈顏變(がんぺん)〉の場面では、舞台後方に白描で描かれた一幅の絵が浮かぶ――師ティロパと弟子ナーラパ、ふたりの眼差しが静かに交差する。 その前景には、長く垂れる布に身を委ねた二人の舞踊家が高空を舞い、もがき、追いかけ合いながら、心と心がぶつかり合う。
絵の中のナーラパは、まるで舞うナーラパを見守るかのように、彼の進むべき道を静かに見つめる。恐れ、屈辱、無知、苦しみ、絶望、そして手放すこと――すべてがこの旅に必要な試練である。
ナーラパは二十四もの悪夢のような苦行を経て、疲労と昏迷の中から静かに目覚める。そこにはもう傲慢や執着はなく、ただ柔らかく、清らかで、深く信を持つ心がある。 そうして初めて、ティロパの慈悲と智慧を真正に受け取る準備が整う。 印心とは、この心の熟しを待つ沈黙の儀式なのである。
そのとき、安淨リンポチェは舞台の中央に静かに坐し、穏やかで安定した語り口で、智慧と慈悲の道について観客に法を説く。 その声は、まるで千年前のガンジス河畔、ティロパがナーラパに語りかけたように、聴く者の心をそっと開いてゆく。私たちが執着を手放し、心を開けば、真理は師の導きと共に、静かに心の奥へと流れ込む。
ナーラパの求道の旅は、いよいよ終章へ。〈明覚(みょうかく)〉の場面では、二人の舞踊家が金剛輪の中で絶え間なく回転し、師から弟子へと伝わる智慧の法輪が、内なる修行をさらに深め変容させていく様を象徴する。
そして、舞台は沈黙と闇に包まれる。ただ一筋の光が、胡啟志と彼の掌中の水晶球を照らす。
観客の視線は自然とその球に引き寄せられる――透き通るように澄み、光をたたえ、完璧な丸みをもって輝くその姿に。 胡啟志は剃髪し、上半身裸のまま、水晶球を指先、手のひら、腕、肩、頭頂へと、まるで体の一部のように自在に操る。その動きは極めて軽やかで、球は身を離れず、それでいて限りなく自由に遊ぶ。
この水晶球こそ、私たち一人ひとりの中に眠る、霊性の光そのもの。 見えずとも在り、静かでありながら、永遠に輝くもの。
この美しく詩的な象徴は、禅修劇場が最後に観客へ手向ける深い祝福でもある。 ――どうか、光を見出し、 そしてあなた自身が、その光とならんことを。
その時、唐美雲が再び舞台に姿を現す。 琴の音、鼓の響きが水のように空間を流れ、幕に浮かび上がる書の詩句とともに、彼女の声が静かに六首の偈を唱えはじめる。 それは『ガンジスの大手印(マハームドラー)』に伝わる道歌――悟りの詩、魂の余韻。
物語は静けさの中に融け、ナーラパの姿はもう迷いに囚われていない。 苦行の跡、智慧の目覚め、心のやわらぎ──すべてがこの六つの偈に込められ、舞台の旅を円満に結びへと導いていく。
それは束縛を脱ぎ捨て、空を悟り、内なる光が魂の奥深くより照らし出す旅だった。
この終幕は、終わりではない。 幕が降りたその先にこそ、観る者一人ひとりの「道」が、静かに始まっていく。
最後に、安淨リンポチェは再び舞台に坐し、穏やかで深みある声で、大手印(マハームドラー)の禅修法門について簡潔に説き明かす。 そして観客全員を静かなるひとときへと導き、今ここにある呼吸と心にそっと寄り添わせる。
この瞬間、観客はもはやただの傍観者ではない。 舞台のナーラパとともに、沈黙の中で安らぎを感じ、今という瞬間に光を見出す。
坐禅とは、何かを得るためではなく、本来の自分に還る行為。 それは、自我と智慧が出会い、静けさのうちに印心されるひととき。
その体験は、たとえ短くとも、確かにここにある。 「見る」から「在る」へ―― この芸術禅修劇場は、観る者すべての心にそっと帰着して、静かに幕を閉じる。
『印心――ナーラパの劇場』を通して、演出家・呉素君は千年前の仏教行者ナーラパが内なる智慧の光を求めた旅を再現しただけでなく、舞踊・音楽・書・映像といった芸術の多層的融合によって、劇場空間そのものを霊性の光を放つ「心のマンダラ」へと昇華させた。
このマンダラにおいて、仏法は遠い経典ではなく、芸術を媒介とした「心から心への伝達」として、現代に生きる私たちに語りかけてくる。 忙しなく不安に満ちた時代に、ほんのひとときでも、静けさと澄明さ、そして内なる目覚めの光にふれるような時間が、ここにはある。
これは終わりではなく、内面の旅への静かな招待。 芸術という入口から始まる、無言の灌頂である。
文/荘 慧秋(しょう けいしゅう) 国立政治大学心理学修士。元・心霊工坊文化企画ディレクター。
安淨リンポチェ
安淨リンポチェは、初世ジャンゴン・リンポチェ・ロドロ・タエの心子の一人として認定された化身である。
第三世として転生したリンポチェは、幼少より非凡な気質と深い徳相を示し、十六歳のとき、自身の強き願と祈りにより、カルマ・カギュ派の禅定第一人者であるボカ・リンポチェが主宰する彌律ボカ寺において、伝統的な三年三ヶ月の閉関修行に入った。
閉関中、リンポチェは転生祖古として得られるはずのあらゆる特権を捨て、一般の僧侶と同じく労務を担い、謙虚に修行に徹した。恩師ボカ・リンポチェのもと、精進を重ねて禅修の証量を得、ボカ・リンポチェおよびカンポ・トンドゥ・リンポチェより貴重な口訣と法の伝授を正式に受け、それを如実に修習した。
彼の根本上師への信は絶対であり、その関係はミラレパとマルパの関係を想わせる堅固不壊なものである。まさにボカ・リンポチェの金剛の心子と言える存在である。
安淨リンポチェは、現代において極めて稀少かつ貴重な青年禅師の一人であり、謙虚さと深い証悟、そして広大な慈悲心を具えている。その座下において学び、修行することは、不可思議なる加持と魂の目覚めを体感する特別な機縁である。
アジア・ボカ・台湾
〈アジア・ボカ・台湾〉は、チベット仏教の修行精神を受け継ぎ、「観心」の実践と禅修を現代社会に広めるための活動を行っている仏教団体です。日常生活、現代芸術、美意識との融合を通じて、心の平安と智慧を共有する数々の活動を展開しています。
2008年から2016年までにかけて、十回にわたる大規模な劇場型展演を主催し、その第十作が集大成となる《印心――ナーラパの劇場》です。 この一連の道と芸の融合は、芸術を通じて内面の静寂と変容の可能性を伝える試みであり、観る者と演じる者が共に「修」と「証」に触れる場でもあります。
著名な舞踊家・アーティストである呉素君氏は、団体の理念に深く共鳴し、2016年以降、常任芸術監督および演出家を務めています。また、布衣デザインの第一人者・鄭惠中氏は、長年にわたり衣装の提供・制作を担っており、本企画に多大なる貢献を続けています。
これまでに共演・協力した国内外の芸術家・団体には、唐美雲、奚淞、張曉雄、王心心、何康國、楊孝萱、程心怡、呉建緯、張逸軍、胡啟志、屋希耶澤、優劇団、長栄交響楽団、ならびに国際的チベット音楽家ナワン・ケチョック(Nawang Khechog)などが含まれます。
〈アジア・ボカ・台湾〉は、芸術という橋を通じて、すべての人と「心の静寂」を分かち合いたいと願っています。芸術が仏法と出会うその場所に、目覚めの光がそっと宿りますように。
Tel:04-23582662e-mail:bokarasia@gmail.com