2018年(二〇一八)金澤博 一日禅
愛と慈悲
『音の厚みを探して』コンサート
台湾・台中市大里 菩薩寺
人の声は、最もシンプルな楽器。
そして、最も美しい楽器でもある。
中世以降の西洋においては、澄み切った人の声による詠唱が、人々の心を浄化し、昇華させる手段として発展してきました。その最たる例が「グレゴリオ聖歌(Gregorian Chant)」の広がりでしょう。音楽を通じて、人は神と語らい、教会堂ではその神聖な音の響きが幾重にも重なり、天へと届くと信じられてきました。
一方、東洋においては、音律に精通していた弘一法師が、音楽の豊かさを活かして、多くの人々に親しまれる『三宝歌』を作曲したことでも知られています。
仏寺の梵音にせよ、教会の合唱にせよ、「声」は、古来より神と人、天地とを結ぶ重要なコミュニケーションの媒介であり続けています。
想像してみてください。 もし東洋の仏教寺院において、声楽家による“人の声”だけのコンサートが行われたとしたら―― その空間はどのような情景となり、どのような音楽の姿が浮かび上がるのでしょうか?
この「音の厚みを探して」音楽会に足を運んだ聴衆の心には、そんな好奇心が自然と湧き上がっていたことでしょう。
五月、私は台中の菩薩寺を訪れました。
静かで澄み切った空間に、水のせせらぎがやさしく響き渡る。 金澤博氏のまろやかで深みのある歌声が寺院の中にこだまし、仏前にて悠々と響く。 流れゆく水音と歌声に包まれながら、私はふと感じました―― 湧き出ていたのは、絶えることのない「愛」と「慈悲」だったのだと。
菩薩寺――愛に遠近はない
この特別な声楽コンサートは、台中の菩薩寺にて開催されました。
菩薩寺の葉師姐(ようししゃ)はこう語ります:
「準備の初期段階で、鄭惠中老師が『電子ピアノを本堂に持ち込んで演奏したい』と提案されました。私は最初、それは無理だと答えました。でも、慧光法師は『いいですよ』と言ってくださったのです。」
今回のコンサートの発案を後押ししてくれた慧光法師は、現在香港で教鞭を取っておられます。
そして葉師姐は続けます――「香港、ネパール、日本、台湾……どこであっても、愛に距離はありません。慈悲に差別はありません。」
コンサート前日のリハーサルでは、金澤博氏が亡き母への深い思いから涙を流され、その真情が多くの人の心を打ちました。
「仏教にはこうあります。『すべての衆生は母のような存在』『慈しみの母なる衆生』――輪廻を繰り返す中で、あらゆる命はかつて我々の母だったかもしれないのです。その母への深い愛を、すべての衆生に還元していく。それが“無縁の大慈、同体の大悲”という心なのです。」
「思い出すこと、愛すること。それらは、私たちに“慈悲”と“思いやり”を学ぶ機会を与えてくれます。母への想いをもって、すべての命に優しく向き合いましょう。たとえそれが苦しみの中にある存在であれ、敵意を抱く相手であっても――その人もまた、かつての“母”かもしれないのです。」
葉師姐は、金澤博氏にこう祝福を送りました。
「これからの歌声には、母への想いとともに、母からの優しい祝福も重なって響きますように。」
歌声を通して、大切な人とつながる
金澤博氏は、今回の音楽会とのご縁について、ステージに立つ前にこう語ってくれました。その始まりは、彼の身にまとうこの布の衣からだったといいます。数年前、天然素材の服が好きで「惠中布衣」と出会い、鄭惠中老師とのご縁が生まれました。その素朴で心地よい布衣に魅了され、台湾そのものを深く好きになり、今では日台を行き来する日々を送っています。いつか台湾で暮らしながら、歌と音楽教育に携わることが夢だと語ります。
服に手をやりながら笑顔でこう言いました。「私は体型のせいで、なかなか気に入ったサイズの服が見つからないのですが、惠中老師が『大丈夫、あなたのために仕立てますよ』と言ってくださって、本当に嬉しかったです。」
2015年9月15日、金澤博氏が東京での舞台公演を控えた前夜、台湾の「土狗(TAIWAN TOGO)」チームが現地まで応援に駆けつけました。
そして2018年5月12日には、彼の生徒17人が日本から台湾へと渡り、菩薩寺で開催されたこの音楽会に参加しました。
金澤氏の音楽スタイルは「自然派・ナチュラル系」。黒の燕尾服など一般的な声楽家の装いではなく、藍色の東方風布衣にゆったりとした黒ズボン。飾り気のないその姿は、音楽と同様に素朴で自由な美しさをたたえています。
音響機器は使わず、マイクも通さず、伴奏はシンプルな電子ピアノのみ。その場に響く声を、そのままライブ配信。このスタイルからは、彼の音楽への深い理解と造詣の深さがにじみ出ています。
本番の演奏はもちろん、リハーサルでも深い感動がありました。
金澤氏は語ります。「私にとって、歌は小さな頃からの情熱であり、母は何よりの支えでした。」
けれど、17歳で初めて舞台に立った時、すでに母は他界しており、舞台姿を見せることは叶いませんでした。そのことが、ずっと心に残っていたといいます。
だからこそ、どの演奏会でも、母が好きだった歌を選び、思い出とともに歌い続けてきました。今回のコンサートでも、母が好んでいた曲を皆さんと分かち合い、母にも届ける想いで歌います。
優しく見守ってくれた母を偲び、音楽を通してその愛を讃える――それが、彼の歌声に込められた大きな意味でした。
この音楽会は、ちょうど母の日の前日に開催されました。たとえ今、母が傍にいなくても、すべての観客が母を想う気持ちは同じです。
そしてその心は、ステージ上で歌う金澤博氏と重なります。
歌声を通じて、再び母の愛とつながる。
――それは、深くてやさしい感情の再生の時間でした。
『般若心経』が奏でる永遠の愛
コンサートの前半では、金澤博氏が日本の名曲6曲を披露しました。どの曲にも、母への思慕や家族の情、郷愁が込められており、観客は歌詞に登場する母子の馬車と共に、自らの心の故郷へ、母の胸の中へと導かれていくようでした。
「月は沈み、烏は鳴く。夢の影がぼんやりと浮かぶ…… 過ぎし日々は覚えているだろうか。半生の悲喜の流れに沈み…… 親への恩は永遠に……」
弘一法師の『送別』と『夢』の歌声が会場を包み、聴衆の感情は大きく揺さぶられ、静かに深い感動が広がりました。
後半は、『般若心経』の演奏と共唱の時間です。
金澤博氏が自ら作曲した日本語版の『心経』を丁寧に歌い上げ、千年を超えて伝えられてきたこの経文が、音楽によって現代の私たちの心に響きます。
その旋律は、有情を智慧の彼岸へと導く舟のように。
「観自在菩薩。深く般若波羅蜜多を行じて、五蘊皆空と照見し、一切苦厄を度す……」
参加者はこの詠唱に合わせて、順に仏前で灯明を捧げ、それぞれの愛する人、想う人へと祈りを込めて回向しました。
『心経』の旋律に包まれながら、私たちは静かに、そして温かく、大切な人との別れを受け入れていきます。
そしてその別れは、再び出会うための新たな始まりでもあります。
別れはもはや悲しみではありません。
なぜなら、私たちはいつか共に、永遠の彼岸へと辿り着くから。
もしも愛を分かち合ったことがあるなら、死は悲しみではなく、共に踊る歓びのひとときなのです。
「色即是空、空即是色……」
死は生であり、別れは出会い。
私たちはいずれ、“心の彼岸”へと還るのです。
「無無明、亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽……」
『心経』の歌声は絶えることなく響き、愛と慈悲の流れもまた、決して尽きることはありません。
アンコールでは、ブロードウェイ・ミュージカル『キャッツ』より「Memory(メモリー)」を選曲。
この歌の中で、“今日”は記憶の終わりであり、同時に新たな一日の始まりでもあります。
この音楽会においても、私たちは亡き人を偲び、新しい命を抱きしめました。
金澤氏は、その純粋で神聖な歌声を通して、グリザベラの「天上への道」をひとつひとつ導いていきます。
音の一層ごとに心が浄化され、魂が昇華し、ついには神聖なる音楽が神と響き合う……
生は、死によって昇華され、再生へと向かうのです。
「人の声は、最もシンプルで、最も美しい楽器。」
金澤博氏は、これまで専門的な音楽教育を受けてきましたが、それでも「心から湧き出る真摯な声こそが、最も美しい音楽だ」と信じています。
演奏終了後には、台湾の音楽界で著名なアーティスト・許景淳氏が登場し、母をテーマにした台湾語の詩歌を披露しました。
金澤氏は語ります:
「彼女と目を合わせて、共に歌ったとき、私はすぐに感じました。許さんは美しい声を持つだけでなく、音楽に対して深く真摯な想いを抱いている。
その真摯な感情こそが、素晴らしい音楽を生む最も大切な要素なのです。」
情と技が融合した音楽表現
今年45歳を迎えた金澤博氏は、10歳の頃から歌を学び始め、以来、毎日を音楽とともに生きてきました。
「音楽は私の人生の“中心”ではありません。音楽は、私の人生そのものです。」
彼の音楽人生における大きな転機は、「世界最高の声楽教師」と称される世界的音楽家アドリエンヌ・エンジェル(Adrienne Angel)との出会いでした。
この偉大な師との出会いが、彼自身の声や歌唱技術がどれほどの水準にあるのかを明確に教えてくれたのです。
アドリエンヌ先生は、金澤氏にとって精神的支柱とも言える存在であり、その励ましと支援が、彼を音楽の舞台へとより自信を持って立たせてくれました。
金澤氏は、彼女との出会いの場面を今でも鮮明に覚えています。
「やっとの思いで、アドリエンヌ先生のマスタークラスに参加することができ、本当に嬉しかったです。レッスンでは、全員が順番に先生の前で歌うことになっていて、他の受講生たちはほとんど1〜2フレーズで止められていました。」
「ところが、私の番になって歌い始めると、先生は止めるどころか、最後まで全部歌わせてくれたのです。歌い終わると、彼女はこう言いました。
『あなたにはこの講座は必要ないわ。なぜ来たの?何のために?』」
その時、金澤氏は一瞬、間違ったことをしたのではないか、怒らせてしまったのではないかと動揺しました。
しかし、実はそれが最大の賛辞であり、長年にわたる努力と鍛錬が、ついに“理解者”に出会い、世界的な師匠に認められた瞬間だったのです。
それ以来、二人は師弟であり、友人でもある関係を築き、金澤氏にとっては、音楽の指導者であると同時に、母のような存在でもあります。
今回の台湾・菩薩寺での公演についても、真っ先に先生に報告し、共に喜びを分かち合いました。先生もとても喜んでくれたそうです。
何年にも及ぶ訓練と舞台経験によって、洗練された完璧な技術を習得してきた金澤氏ですが、彼が何よりも大切にしているのは「心からの感情」だといいます。
「心から出る声だけが、本当の“良い声”になる。」
もちろん、
「技(わざ)と情(こころ)が融合する音楽こそ、最も美しい。」
声の厚みは、声の原点から生まれる
金澤博氏の音楽キャリアは、初期にはブロードウェイのミュージカル舞台でのパフォーマンスを通して、自らの音楽技術を鍛え、挑戦し続けることから始まりました。そしてやがて、装飾的な要素を削ぎ落とし、原点に立ち返るように、純粋な「人の声」だけで音楽を表現するスタイルへと至りました。
彼が追求するのは、天から授かった声――人間の肉体が持つ「原音」が持つ美しさと力です。
近年、西洋の民族音楽学や世界音楽研究の分野で注目を集める「倍音(オーバートーン)」や「ホーメイ(喉歌)」と同様に、外的な制約が少ないほど、内側に秘めたエネルギーがより大きく解放され、魂の自由が音に宿るのです。
束縛を脱ぎ捨て、原始的で純粋な感動だけを残す。
「声の厚み」を探すということは、「声の出発点」へと戻る旅でもあるのです。
たとえば、中央アジアのトゥヴァやモンゴルのホーメイ、また台湾の原住民の歌唱などは、本来、娯楽ではありませんでした。
それは天地自然への畏敬と感動を、声に託して捧げる祈りのかたちだったのです。
だからこそ、その表現は一見シンプルに見えても、決して容易ではありません。
声に「厚み」がなければ、聴く者の心を動かす力もまた、弱くなってしまうのです。
この「聴く人の心を震わせる力」こそ、金澤博氏が音楽芸術において追い求めてきたものです。
今回の音楽会では、正しい発声法についてのデモンストレーションと指導も行われました。
正しい発声には、3つのステップが重要です――ウォームアップ(準備)、正しい姿勢、そして正しい呼吸。
このうち、姿勢と呼吸が最も大切な鍵になります。
金澤氏が最も情熱を注いでいるのは、演奏だけではなく「音楽教育」です。
彼の生徒には、10歳から80歳以上までさまざまな年齢層がいます。
年齢に関係なく、一人ひとりに向き合い、正しい発声を丁寧に指導しています。
金澤氏はこう語ります:
「正しい発声ができなければ、声帯や体に無理な負担がかかり、最終的には音楽活動そのものをあきらめなければならない人も多い。逆に、正しい発声を身につければ、心も体も健康に、長く楽しく歌い続けることができるのです。」
「心身が健康であることが、美しい歌声の前提であり、
正しい発声法を知っている人こそが、長く美しい歌を届けられる。」
さらにこうも言います:
「正しい発声法で、楽しく歌うこと――それは、最高の“養生法”でもあるのです。」
彼の恩師であるアドリエンヌ・エンジェル先生が、90歳を超えてなお元気に歌い、教え続けているのも、まさにこの発声法によるものでした。
そして彼女は、金澤博氏にこう願い続けています――
「この“正しい発声法”を、世界に広めてほしい。みんなが健康で、美しい声を楽しく響かせて生きられるように。」
それこそが、師弟ふたりに共通する、深く真摯な願いなのです。
コンサートからひと月後、日本より届いた感想と響きの声
国境を越えたご縁のつながり
文・金澤 誠(金澤博氏の父)
台中の菩薩寺で開催されたコンサートは、非常に荘厳で、盛大かつ調和に満ちた素晴らしい一日でした。主催・共催の皆さま、そして会場に足を運んでくださったすべての方々に、心より感謝申し上げます。
このすべての出来事は、人と人とのご縁――国境を越えたご縁の積み重ねによって成り立っています。
息子の話によれば、最初のきっかけは、鄭老師の創作した布衣を「着てみたい」と思ったことだったそうです。そこから文化芸術に深い造詣を持つ鄭老師と、ミュージカル声楽家である息子との出会いが生まれ、ご縁の糸がつながっていきました。
鄭老師のチームは、台湾から日本にまで足を運んで息子のコンサートを応援してくださり、さらに台湾の録音スタジオでのレコーディングの機会まで用意してくださいました。
私は思うのです――
鄭老師は、文化や芸術が風化していくことを何としても避けたい、後世にしっかり伝えていきたいという強い想いを持っておられるのだと。
その想いがあったからこそ、今回のような素晴らしい音楽会が実現したのだと、私は信じています。
今回の音楽会には、台湾各地からたくさんの来賓が集まり、日本からも、息子の生徒たちをはじめ、妹、叔母、そして私自身が参加しました。
たった一人の歌声でありながら、菩薩寺に集まった皆さまは、きっとその情熱と声量に心を打たれ、深い感動を覚えられたことと思います。
母を偲ぶ歌、そして『般若心経』――
これらは菩薩寺の葉さんが息子に作曲を依頼したものだと聞きました。
私はそれを聴いて、すっかり心を奪われました。
会場全体で『心経』を合唱したときの、あの一体感と高揚感は、忘れがたいものです。
主催者の方々からは「来年もまた開催したい」との言葉をいただき、ただただ感謝です。
さらに、葉さんからは「学校教育や医療の現場にも、音楽を届けていきたい」という提案もありました。
息子の歌声が、こんなにも多くの人々とご縁を結んでいるのを目の当たりにして、父としてこの上ない喜びを感じました。
このご縁が、これからもずっと続いていくことを願ってやみません。
鄭老師、葉女士、本当にありがとうございました。
深い共鳴を感じて
文・金澤 理惠(兄・金澤博氏の妹)
菩薩寺を訪れたのは今回が初めてでしたが、どこか懐かしさを感じる場所でした。鄭老師のやさしく心地よい布衣に身を包み、台湾の地で兄の歌声を聴く――それは、胸が高鳴る、忘れられない一日となりました。
幼い頃から、兄の歌声を聴くたびに、私はいつも深く共鳴してきました。
特に心に残っている歌があります。
その歌は、兄がミラノで出会った一人の女性のために捧げたものでした。
その女性は三つ編みをしていて、兄の世話をしてくれたのだそうです。
そして、彼女はこう言ったそうです――「私もかつて、声楽家になりたかったの。」
兄はその言葉を今でも忘れず、思い出すたびに胸を打たれると言っていました。
私の願いは、兄が愛する台湾という場所で、そして兄が深く尊敬する鄭老師の導きのもとで、もっと多くの台湾の皆さんに歌声を届けられる機会を得ることです。
鄭老師、そして兄を応援してくださるすべての皆さまに、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
いちばん大切な贈り物
文・横山 寿美代
金澤先生が台湾で初めて開催されたコンサートに参加できたこと、本当に幸運でした。記念すべき素晴らしい音楽会であり、私にとって忘れられない特別な日となりました。
美しい国・台湾を訪れることができたことだけでも十分幸せでしたが、鄭惠中老師が用意してくださった素敵な衣を身にまとい、荘厳な廟の空間で、優しい台湾の皆さんとともに金澤先生の歌声を聴く――その幸福感は、今でも胸に残っています。
今回の旅では、本当にたくさんの「大切な贈り物」をいただきました。
中でも、金澤先生が歌い上げてくださった『般若心経』は、私にとって最高の贈り物でした。
音楽会当日、私たちは金澤先生と一緒に何度も『心経』を唱和し、気づけばその旋律をすっかり覚えていました。
それが、この旅で得た最も貴重な宝物です。
またいつか、台湾の皆さんとお会いできる日が来ることを心から願っています。
最後に記念写真を撮ったとき、隣にいた台湾の方が、そっと私の手を握ってくれました。
その優しさを思い出すと、今でも嬉しさがこみ上げてきます。
時空を超えるエネルギー
文・諸山 朝子
私は、2004年以降に開催された金澤先生のすべてのコンサートを聴いてきました。
今回の菩薩寺でのコンサートは、開演前の会場の雰囲気から、これまでとは違っていました。
緊張感よりも、安心感と穏やかさ、そして親しみやすさに満ちていて、とても温かい空間でした。
台湾の皆さんが、私たちを心から歓迎してくださっているのを感じました。
日本に戻ったあとも、不思議なことが続いています。
演奏会当日の雰囲気や金澤先生の歌声が染み込んだ鄭老師の布衣を身に着けると、どんなに生活が忙しくても、心が自然と落ち着いてくるのです。
ふと気づくと、思わず『般若心経』を口ずさんでいる自分がいました。
台湾から帰国して以来、助けを必要とする人々と何度も出会いました。
それはきっと、偶然ではないと思います。
本当に、ありがとうございました。
身も心も清められるような感動
文・中田 惠子
菩薩寺は、私が想像していたお寺とは違い、とても現代的で、生活に寄り添った雰囲気のある場所でした。
仏堂の最前列に座り、正面の仏さまがやさしい眼差しでこちらを見守ってくださっているのを感じながら、心が静かに洗われていくようでした。
金澤先生が日本の抒情歌を歌い始めたとき、自然と涙があふれてきました。
そして皆で『般若心経』を唱和したとき、私の身も心も魂も――すべてが清められたように感じました。
今回、私は初めて台湾を訪れましたが、台湾の皆さんのあたたかさに心から感動しました。
そして、私たち日本人がいつの間にか忘れてしまった、とても大切なものが、ここ台湾には今も息づいている――そう強く感じました。
このようなかけがえのない体験をさせていただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
母の日に聴いた、母を想う歌
文・黒木 秀子
2018年5月13日、台湾・台中の菩薩寺で開催された演唱会に参加しました。
金澤博先生が自作曲の『般若心経』を歌ったとき、最後の繰り返し部分を私たち皆で一緒に唱える場面がありました。
そのとき私は、会場の皆と一体になって、ひとつの祈りを捧げていると感じました。
私は何を祈っていたのでしょうか。
金澤先生は演奏の冒頭、日本の歌謡曲をいくつか歌われました。その中に『お母さん』という曲がありました。
翌日は世界中で母の日が祝われる日。
この曲は私の心に強く響きました。
先生のお母様は、先生が十代の頃にすでに亡くなられていたと聞きました。その想いを込めて、涙ぐみながら歌われた『お母さん』――まるで私たちと、もう会えなくなった大切な人を再びつなげてくれるような歌でした。
中国では清明節の日に亡くなった人が戻ってくるという言い伝えがあるそうですが、
私はこう思います――母の日もまた、私たちの思いが天に届き、亡き母とつながる日なのだと。
私の母は2009年5月5日に亡くなりました。
日本では三回忌、七回忌、十三回忌と節目に法要を行いますが、年数が経つごとに、その間隔も長くなっていきます。
母のことを忘れたわけではありませんが、ここ数年、母に直接語りかけることはありませんでした。
母は若い頃、お寺で裁縫を学んでいました。
その頃、よく『心経』を唱えていたそうです。
晩年になっても、『心経』は日常的に唱えていたと語っていました。
声というのは不思議なものです。
人の姿を思い出すよりも、声のほうが、よりはっきりとその人を蘇らせてくれるのです。
私はよく、母の声を思い出します。
菩薩寺という空間で、母の日の前日に『お母さん』の歌を聴いたとき、まるで母の声を聴いたような気がしました。
ほんの少し、手を伸ばせば、もう一度母と手をつなげるのではないか――そう思えるほどでした。
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
この『心経』の一節を繰り返し唱えているとき、私は心の中でこう語りかけていました。
「お母さん、そこにいるの? 一緒に歌ってるの……?」
コンサートの後、願い札を木の枝に結びつけながら、私は母への感謝の気持ちでいっぱいになりました。
「お母さん、ありがとう。あなたはここにいて、私のそばにいてくれる。」
こんなに素直で、心から感動できる体験をさせていただき、本当に感謝しています。
「衣」から「歌」へとつながった美しいご縁
文・金澤 博
まずは、台湾で初めてコンサートを開催できたことに、心から感謝いたします。
以前から台湾に興味はありましたが、実際に訪れるきっかけとなったのは――鄭老師の衣でした。
松浦弥太郎さんの著書で鄭老師の服が紹介されており、その写真を見たとき私は衝撃を受けました。
「なんて美しく、哲学的な衣服なんだ!」と感動し、それ以来、毎日「いつか台湾に行って、自分の目でこの服を見たい」と願っていました。
幸運にも松浦さんのご紹介で、実際に鄭老師のアトリエを訪問することができました。
その服の一つひとつに深く感動し、少しずつ購入を始め、今では鄭老師の衣がないと生活できないほどになりました。
最初は服がきっかけでしたが、やがて演奏会の企画・演出・冊子の制作など、芸術的な共創へと発展しました。
すべては鄭老師の支えがあってこそ、実現できたのです。
ある日、鄭老師が私にこう言いました。
「私は人のために生きているの。仏教と芸術は、お互いの未来のために融合するものよ。」
鄭老師が服を通して伝えていることを、私は音楽を通して届けている。
私たちは、同じ目標のために生きているのだと思います。
私はこうも信じています:音楽は、聴いてくれる人がいて初めて成立するもの。
独りよがりではなく、誰かと共に分かち合うこと――それが本当の喜びであり、未来をつくる力なのです。
このようなご縁と、菩薩寺の皆さまの温かなお気持ちによって、今回の演奏会が実現しました。
2017年11月初旬、私は初めて菩薩寺を訪れました。
その清らかな空間は、日本人が抱く「お寺」のイメージを心地よく覆してくれました。
そして私は、この場所に「本物の心」があると感じたのです。
演奏会は本堂で行われました。
そこで歌うことはとても緊張しました。
菩薩寺の葉さんから、「ぜひ心経に曲をつけて、一緒に唱えるようにできないか」と依頼を受けました。
なんて素晴らしいアイデアでしょう!
でも、そのとき私は震えていました。
私は、この寺に捧げる一曲を作るのです。
演奏会の準備を始めながら、私は心の中でひとつの決意をしました。
鄭老師の寛容なお心と、菩薩寺で感じた仏教的な気配――大きくて心地よい流れに、すべてを委ねようと。
自分の音楽を通じて、支えてくださった皆さんに「美しさ」を届けたい――その想いで、私は流れに身を任せました。
帰国後、作曲を開始しました。
最初は毎日が苦しく、戸惑いの連続でした。
心経を深く理解すればするほど、その重さに圧倒されました。
一字一句に曲をつけることに、何度も心が折れそうになりました。
書いては消し、また書き直し――
気づけば2018年を迎えていました。
その日も、私は一人、録音スタジオにこもっていました。
心経――それは、観音菩薩と舎利子の対話のように感じました。
私は「詞」ではなく、「対話」に曲をつけるのだ――
そうか!
その瞬間、ひらめきが訪れました。
これはオペラだ、ミュージカルだ!
キリスト教には神を賛美する聖歌があります。
私は西洋声楽を学び、「讃える音楽」の世界で生きてきました。
だからこそ、私は仏教の劇的な構成を、西洋の音楽的精神で讃えるという形にできる。
それが、私の道でした。
音楽が天から降ってくるように、頭の中に旋律が響き始めました。
5月11日、私は学生、ファン、家族とともに台湾へ向かいました。
皆が鄭老師の衣をまとい、とても美しく、笑顔に満ちていた――
その光景は、私にとってかけがえのない宝物となりました。
その夜、菩薩寺で最終リハーサルを行いました。
準備に尽力してくださった皆さんへの感謝の気持ちで胸がいっぱいでした。
葉さんを中心に、全スタッフで行ったミーティングの光景は、生涯忘れません。
私は、母との思い出や、毎回のコンサートで母を想いながら曲を選ぶ気持ちを話しました。
そして、演奏会を母にも聴いてもらえるようにと、本堂に母の名前を書いて供養しました。
私は思いました――もう、すべてが整った。
この瞬間、すべての準備が完了したのです。
コンサート当日、私の心は晴れ渡った青空のようでした。
緊張も不安もなく、自宅にいるかのような気持ちで歌えました。
たとえ日本語の歌であっても、その場にいたすべての方が、言葉を超えたエネルギーを感じ取ってくださったはずです。
日本の歌、弘一法師の歌、そして『心経』――
本堂は特別な空気に包まれていました。
私の素直な心から生まれた歌声を、皆さんが素直な心で受け取ってくださる。
見えない「想いの流れ」を、私は確かに感じていました。
何より素晴らしかったのは、全員で一緒に『心経』を唱え、本尊に蝋燭を捧げたことでした。
演奏会の最後に、葉さんが「来年も必ず菩薩寺で開催しましょう」と言ってくださり、私は涙が出るほど嬉しかったです。
この演奏会のすべての過程が、私に無限の喜びを与えてくれ、次なる世界の扉を開いてくれました。
これからも、私が愛する台湾で、台湾の皆さんと歌を分かち合えたら幸せです。
それこそが、私の一生の仕事です。
最後にもう一度――
鄭老師、鄭老師の制作チーム、葉さん、菩薩寺の皆さま、そして…
いつも中国語の話せない私を助けてくれる蔡金宏さん、
長年にわたり活動を支えてくださっている高橋哲哉さん、
本当に、本当にありがとうございました。
菩薩寺の静かで清らかな空間の中、水が静かに流れ続けていました。 仏法の古く深遠なる真理は、清水コンクリートのモダンな建築美の中で、声もなくゆっくりと醸成されていくようでした。
あの音楽会を思い出すと、金澤博先生の丸みを帯びた、豊かで澄んだ歌声が堂内に響き渡り、仏前に穏やかに広がっていきました。 水の流れは変わらず、ただ静かに、絶え間なく流れていました。 その音とともに感じられたのは――湧き上がるように広がる、尽きることのない「愛」と「慈悲」そのものでした。
IBS菩薩寺 International Bodhisattva Sangha(国際菩薩僧団)
朝の風と月、万里の空。山門の前に立つ老梅と石は、時の流れの中で、深遠なる縁起を無言で説き続けています。
さあ、私たちも菩薩の家に帰り、仏陀の足跡をたどりながら、生命の真理を探究してみましょう。
自らをよりどころとし、法をよりどころとし、他によりどころを求めることなかれ。
所在地:台湾 台中市大里区永隆路147号
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