二○一七 2017安靜。質樸 「野茶宴」小慢 十周年 小慢生活美學
茶
心也可以清 清心也可以
以清心也可 可以清心也
これは「回文」といい、「心」「也」「可」「以」「清」の五文字が急須の蓋などに丸く書かれ、どの字から読み始めても文として成り立つ。意味はどれも「お茶は心を清らかにしてくれる」ということを言っている。
五月下旬、季節は春から夏に移ろう頃、空は晴れ、風はそよ風。台北華山で開かれた小慢十周年茶会「野茶の宴」は、まるで一輪の花のように、風薫る五月優雅に咲き開いた。
紅いレンガの壁、縦長の窓。柔らかい白いカーテンが風に踊る。急須、茶杯、透明なガラスの茶杯、立ち昇る白い湯気、茶葉と花びらがお湯の中でゆっくりと開く姿……。全ての景色は一幅の絵のようだ。日常の何気ない風景、しかしそこには飾らない美が、力強さがある。
「風のように、水のように」。小慢十周年野茶の宴は「五感で自然を感じる茶席の美」をテーマにしている。茶は元々天と地の間に生きる植物、自然からの賜り物、自然そのもの。野放茶、野に放たれたより力強い自然の味。八席の茶席、八種類の野茶、それぞれの野茶の味に、飲む者は茶の静寂を感じる……
独創的な茶会
華山1914文創園区の赤レンガエリア。入り口右手には黄色いバラが咲き誇る。中に入ると、受付のスタッフがにこやかに出迎えてくれる。客は荷物を預け、貴重品を入れる小さい布製の手提げ袋を受け取る。中に入れば、軽やかで優雅な茶会の始まりだ。
客たちは予めドレスコードを知らされているので、皆白か薄い色の服を着て参加している。大勢の白い服を着た人たちが、赤レンガの築百年の歴史ある空間に集まっている様は、古いものと前衛的なものが対比をなしている。この茶会は、まるで時代の最先端を行くファッショナブルなパーティーのようだ。
茶人たちは皆ライトグレーの茶服を身に纏っている。そのデザインは修道院のシスターの服を思わせる――これは布服デザイナーである鄭惠中先生が、この茶会のために特別にデザインし制作したものだ。新しく独創的なデザインである。衣装も舞台効果の重要な要素の一つだ。新しくデザインされた服は、観客にとって初めての視覚体験になる。他の要素と組み合わさり交じり合って、どんな化学変化が生まれるのだろうか?……それは誰にもわからない。それが創作、創造なのだ。
茶会が始まる前に、客たちはまずウェルカムティーのもてなしを受けた―――中国安徽省の野放緑茶と広西のジャスミン紅茶。砂時計型の透明なグラスの中で、茶葉の優雅に舞う美しい姿が余すことなく見て取れる。その美しさを写真に撮って残したい衝動に駆られる。
続いて、花道哲学家上野雄次の花いけパフォーマンスが行われた。上野雄次の作品は常に独自のスタイルで貫かれている。大胆かつ新しい。近年小慢生活美学と数多くコラボしている。彼の作品は「花道」という言葉では括れない。暮らしの隅々にまで浸透している。彼は自ら山に入り花材を採るのを好む。山で拾い集めた花材は買ったものより面白い。最も人々を驚かせ楽しませたのは、東京で自家用車の屋根に、巨大な鳥の巣のようなオブジェを取り付け、走り回っていたことだろう。また、多くのミュージシャンやダンサーたちとコラボパフォーマンスを行っている。「私のパフォーマンスは全て花道哲学に基づいています。花道家は花を飾る人を指すのではありません。私が表現したいのは一種の哲学なのです。」かつて彼に聞いたことがある。三十年来の花道哲学の中で最も学んだことは何かと。彼はこう答えた。「植物の姿を通して『生きる』ということを知ることです。生命を感じることです。」
この日、上野先生の作品の素材は、山から拾って来た枯れ木だった。少し湾曲した自然なライン。器は甕だ。彼はテーブルによじ登り、枯れ木の根の部分を甕の中に押し込もうとするが、なかなか安定しない――刻々と変化する状態の中で揺れ動く微妙なバランス。これは、この花道哲学家のパフォーマンスではお馴染みの光景だ。最後に枯れ木に一輪の百合を生けて、作品は完成した。
言葉は何も要らない。大自然がそうであるように。観る者がそれぞれ体感し、それぞれ理解すればよい。
「一滴茶」の感動と力強さ
合図が鳴って、いよいよ茶席が設えてある空間へ移動する。客たちは列を作り、整然と入り口から中へ吸い込まれていく――中に入ると、またしても驚きと感動をもたらす視覚体験が待っていた。黄昏を思わせる黄みがかった灯りの下、会場内には形の異なる茶席が八席設えらえている。木のテーブルと椅子の席、ソファー席、それから、白い蚊帳で仕切られた奥の畳にも三席。茶人たちはそれぞれの席で静かに始まりを待っている。客たちは自分の選んだ席に入る。
客たちは日本、香港、中国各地や台湾から集まった。茶人の中にも何人もの日本人の先生がいる。茶人たちはそれぞれ雰囲気を異にしているが、共通しているのは、親しみのある態度、柔和な動作と流れるようなリズム。静寂の中、心も体も安らぎ、リラックスしながら茶人の動作一つ一つを見つめる。茶葉の香りを嗅ぎ、花びらと茶湯の芳しい香りを嗅ぎ、一口一口変化するお茶の滋味を味わう……午後の日差しが白いカーテンを通して淡く射し込む。金色に輝く優しい光のなんと美しいことか。時間と空間の境がなくなり、全てを忘れさせる。その瞬間、身は茶席にあれど、魂は無我の境地に至る。
茶会とは、かくも不思議なものなのか。
台湾花蓮台東の先住民の歌い手である友人が特別に招かれ、茶会で歌声を披露した。遠い昔から受け継がれて来た古い調べ、天地と深く結びついた大自然の旋律が、室内で行われている「野茶の宴」に大自然の息吹を吹き込んだ。客たちは席を立ち中央に集まって、手と手を繋ぎ輪を作り共に踊った。ほんの数分の共演だったが、皆心から楽しんだ――「五感」全てが満たされた。このように様々なジャンルのアートを複合的に組み合わせた形、一つの枠に囚われない自由自在、「野」でありながらお茶会としての整然とした独自の秩序も合わせ持つ、小慢ならではの新しいスタイルだ。それは日本式?台湾式?どちらもであり、どちらでもない。
一席目が終わると、客たちはエントランススに戻り、心を込めて用意された様々な茶菓子を味わった。半時間後再び中に戻り、一席目と違う席を選び、二席目のお茶を楽しんだ。皆すっかりリラックスしたのか、茶席には笑顔が多く見られた。
茶会の最後にはスライドで、ここ数年間の小慢の茶会の記録が上映された。いろいろな街で、場所で、違うテーマで開かれた茶会。様々なジャンルのアーティストとのコラボ……それらは小慢十年間の成長の記録であり、生命の証でもある。
会のおわりに、小曼が皆の前に出て話をした。「この何年かの間、たくさんのアーティストの方々と交流できたことをとても感謝しています。特に上野先生と平間先生。お二人の生け花の作品がイベントで生けられる度に、参加された方々が花を見る時の表情、そして作品自身が放つエネルギーを目にして来ました。あの静けさの極致、言葉にならない美しさ……私はそれをお茶で表現できないかと思い、『一滴茶』を考えました。きょう茶人の何人かは、お点前で一滴茶を振る舞いました。それは一滴だったり、三滴だったり、お茶の特性によって一番よい量で表現しました。『一滴茶』が、生けられた花のように、静かで、質朴で、力強く、皆様の心に響くことを願っています。」
それは正に小曼がその著書の中に書いている「『静』は力強いエネルギーを秘めている」だ。小慢はこれからも、この静寂の感動を探し求め続けていくのだろう。