日日の経典読誦、日々の薫陶と専念
慧木法師は毎日、厳かに『心経』『金剛経』『阿弥陀経』『普門品』という、千年以上にわたって愛誦されてきた代表的な仏教経典を一字一句誦念しています。 聴くことも唱えることも、無上の妙善をもたらし、心を清めます。
『金剛経』:無上の智慧への道
六祖慧能大師は「『金剛経』を誦念する功徳は計り知れない」と述べました。
この経典は、大智慧を求める者のための教えであり、あらゆる執着を解き放ち、解脱へと導きます。
「一切有為の法は、夢幻泡影の如し。是の如く観ずべし。」
『心経』:260文字に込められた大乗の智慧
わずか260文字の『心経』には、大乗仏教の般若智慧のエッセンスが凝縮されています。
短いながらも深遠であり、苦しみを超えて悟りへと導く法の船のような存在です。
「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じ、五蘊皆空を照見し、一切苦厄を度す。」
『阿弥陀経』:西方極楽浄土への導き
隋唐時代以来、中国で広く流布された『阿弥陀経』は、西方極楽浄土の荘厳さを描いています。
心を込めて阿弥陀仏の名を称えることで、煩悩の輪廻を離れ、清らかな浄土へ往生すると説かれています。
「一日より、二日より、三日より、七日に至るまで、心を乱さず念ずれば、必ず阿弥陀仏の極楽国土に生まれる。」
『普門品』:観音菩薩の慈悲の現れ
観音菩薩は大乗仏教において最も親しまれる菩薩であり、多くの人々にとって母のような存在です。
『普門品』には観音菩薩の三十二の応現が説かれ、あらゆる苦しみから衆生を救い取る慈悲の力が記されています。
苦難の時、観音菩薩の名を唱えることで、安らぎと救いを得ることができると伝えられています。
「もし衆生が多くの欲に悩むならば、常に観音菩薩を念じ、恭敬すれば、その欲から解放される。」
三宝の歌:帰依と讃嘆の詠唱
三宝――仏・法・僧――それは修行のよりどころであり、人生における心の帰る場所でもあります。
『三宝の歌』は、平明かつ荘厳な調べで、仏の覚り、法の真理、僧の和合を讃える仏教の讃歌です。 広く親しまれ、帰依の儀式や読誦会でよく唱えられます。
「仏は覚なり、法は道なり、僧は清らかに和するもの……」
その響きに身を委ねると、心身は自然と清らかさを取り戻し、信の灯がともり、今この瞬間に安らぎが訪れます。
釈迦出山像(しゃかしゅっさんぞう)
作者の黄土水(こうどすい)(1895–1930)は、台湾近代史における最初の彫刻家として広く知られています。 日本統治時代の大稲埕で生まれ、活気ある商業文化の中で育まれた感性は、彼の芸術への鋭い洞察と創作の源となりました。 わずか36年の短い生涯ながら、仏教美術の分野に深い足跡を残し、台湾本土化スタイルの先駆けとして高く評価されています。 その作品は今なお、多くの後進の芸術家たちにとっての手本となっています。
彫刻の誕生:本土仏教芸術の新たな典範
1926年、『台湾民報』の主筆である詩人・魏清徳の提案により、「釈迦出山像」の制作が始まりました。黄土水はこの挑戦を受け入れ、作品を自身の故郷である萬華龍山寺に奉納することを決意しました。寺院の改築を記念するこの作品は、単なる仏教の造像にとどまらず、台湾本土の芸術スタイルを体現する新たな典範となりました。
創作の過程:三年間の試行、永遠の一体
黄土水は制作に取りかかると、天竺(古代インド)の資料を幅広く調査し、釈迦牟尼の骨格、周囲の風景、出山悟道の情景を綿密に研究しました。南宋時代の梁楷が描いた「釈迦出山」を参考にし、現代の男性モデルの体型を取り入れながら塑像を進め、試行錯誤を重ねました。完成までに三年間の歳月を費やし、ついに繊細な木彫作品として結実しました。
芸術スタイル:悲智双運、優雅かつ真実の表現
「釈迦出山像」は、リアリズムと人間的な視点を融合させ、シッダールタ太子(釈迦牟尼)が悟りを開いた後の慈悲と知恵が体現されています。法衣の布目は体の曲線に沿って自然に垂れ、髪の流れや髭の造形も緻密に再現されています。合掌して目を閉じ、沈思するその表情は、無限の悲しみと慈しみを放ち、「新たな生への歩み」「正道への旅」「解脱の自由」「希望への象徴」として、仏教美術の中で輝きを放っています。