2018
菩薩寺
台中大里
2018年金澤博 一日禅 × 愛と慈悲 × 『声の厚みを探して』音楽会
会場:台中・大里区 菩薩寺
人の声、それは最も素朴な楽器
そして、最も美しき楽器でもある
中世以降の西洋では、人の声の清らかさを活かし、詠唱を通して魂を浄化し、高める術が育まれてきました。グレゴリオ聖歌(Gregorian Chant)はその最も象徴的な例です。教会の中、神聖なる旋律が空間を貫き、天の御耳へと届き、人と神の心がひとつになる時が流れます。一方、東方では音律に通じた弘一大師が、音楽の多彩な力を仏法に融かし、有名な『三宝歌』を世に遺しました。
仏寺に響く梵音も、教会に満ちる合唱も、—声— は常に神と人、天と地を結ぶ、最も繊細にして尊い橋なのです。
想像してみてください——東方の静寂な仏寺にて、声楽家たちが声だけで奏でる音楽会が開かれるなら、そこにどのような風景が広がるでしょうか?仏殿の中で響く人の声は、香煙と交わり、鐘の音と共鳴し、どんな音楽の佇まいを生み出すのでしょう?
『聲の厚みを探して』——この音楽会に足を運んだ人々の心には、そんな神秘的な問いと期待が静かに灯っていたのです。
五月、わたしたちは台中の菩薩寺を訪れました。
静寂に包まれた寺院、ゆるやかに流れる水の音。金澤博さんの声は、円やかで温かく、仏前に響き渡り、堂内を静かに揺らしていきました。音と水が交わり、まるで香のごとく立ちのぼるその歌声に包まれていると——ふと感じるのです。そこを流れていたのは水ではなく、尽きることなき「愛」と「慈悲」だったのだと。
菩薩寺──愛に遠近はない
この特別な声楽コンサートは、台中の菩薩寺で開催されました。葉さんは準備段階をこう振り返ります。「鄭惠中先生が、仏堂の大殿に電子ピアノを持ち込みたいと言ったとき、私は思わず『それは無理です』と答えました。でも、慧光法師はただ一言、『できます』と言ったのです。」
その慧光法師は当時、香港での講義の最中でした。「香港でも、ネパールでも、日本でも、台湾でも──愛には距離がありません。慈悲には隔たりがないのです。」と葉さんは語ります。
リハーサルの夜、金澤博氏は母への深い想いを抑えきれず、涙を流しました。その姿は、見る人すべての心を震わせるものでした。
仏教には「如母有情、慈母衆生」という教えがあります。幾世もの輪廻の中で、すべての衆生はかつての母であったかもしれない。その母への愛を、すべての有情へと広げ、「無縁大慈・同体大悲」として生きること──それこそが慈悲の実践なのです。
葉さんは最後に金澤氏へ祈りを込めて語りました。「これからあなたが歌うそのすべての音に、母の面影が宿り、母の慈しみが流れますように。母の愛が、あなたの声を通して、世のすべての人々に届きますように。」
歌声で愛する人とつながる
金澤博さんは、この音楽会とのご縁を語る中で、その始まりが今身にまとう布衣であったことを明かしました。何年も前、天然素材の服を好んでいた彼は「惠中布衣」と出会い、鄭惠中先生を知ることになります。その自然で心地よい着心地に惹かれ、次第に台湾そのものを愛するようになり、台湾と日本を頻繁に行き来する生活に。そして、将来は台湾に住み、歌と音楽教育に人生を捧げたいと願うようになったのです。
「私の体型では、なかなか合う服が見つからない。でも、惠中先生は『大丈夫です、好きな服を仕立てましょう』と言ってくれた。あの時は本当に嬉しかったです。」と、服を撫でながら優しく微笑みました。
2015年9月15日、東京での舞台に立つ直前、TAIWAN TOGO(台灣土狗)の仲間たちが台湾から現地に駆けつけ、彼を励ましました。そして2018年5月12日には、彼の生徒17名が日本から台湾へ訪れ、この菩薩寺での特別な音楽会に参加しました。
金澤さんの音楽スタイルは、自然体で飾らず、ありのまま。一般的な声楽家の黒いスーツではなく、東洋の雰囲気漂う青い布衣に、ゆったりとした黒のパンツという装い。演奏もまた同じく、マイクを一切使わず、電子ピアノのシンプルな伴奏のみで構成されました。そのナチュラルで素朴な歌声は、聴く者の心に真っ直ぐ届き、その高い音楽的力量を静かに物語っていました。
リハーサルでは、彼がこの音楽会のために選曲した理由を静かに語りました。「幼い頃から歌うことが大好きでした。そんな私をずっと支えてくれたのが、母でした。」しかし、彼が17歳で初めて舞台に立ったとき、母はすでに他界しており、その姿を母に見せることは叶いませんでした。この喪失感は、今も心の奥深くに刻まれているといいます。
だからこそ、彼は毎回の演奏会で、母の好きだった曲を選び、母への想いを込めて歌っています。その想いは、聴衆にも、天にいる母にも届くように。
今回の演奏会は母の日の前夜に開催されました。母がそばにいる人も、そうでない人も、この日会場に集ったすべての人の心に、母への想いが静かに流れました。そして金澤さんの歌声を通して、再び母の愛と結びつき、その優しさと温もりに包まれたのでした。
『般若心経』が織りなす、永遠の愛の演奏
音楽会の前半では、金澤博さんが日本の名曲6曲を披露しました。どの歌にも母の愛、家族への想い、そして故郷への懐かしさがあふれ、会場は優しい郷愁の空気に包まれました。歌詞に登場する母子が馬車で旅をする情景に導かれ、聴衆はいつしか自分の心の故郷へ、母の胸に帰るような感覚に誘われていきます。
「月が沈み、烏が鳴く。夢の影がうっすらと見え、過去は知る由もない。人生の喜びと悲しみは静かに流れ去る。親の恩は永遠に消えない……」 弘一法師が作曲した《送別》や《夢》を歌い上げる金澤さんの声は、会場の空気を震わせ、聴く人の心に深く染み入りました。
音楽会の後半は《般若心経》の歌唱と指導。金澤博さんが自ら作曲した日本語バージョンの《心経》を、敬虔な思いとともに歌い上げました。千年の時を越えて唱えられてきた経文が、生命の大河の中で、智慧の彼岸へとすべての命を運ぶ舟となって響きます。
「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空、度一切苦厄……」 音楽と唱和が一体となる中、参拝者たちは一人一人、仏前で供灯を行い、それぞれが大切に想う人に向けて功徳を回向しました。
《心経》の旋律に乗せて、私たちは優しく愛する人と別れを告げました。しかしその別れは、また新たな出会いの始まりでもあります。
別れに悲しみはありません。私たちはきっと、共に永遠の彼岸へと辿り着くのです。 死は愛とともに歩んできた者たちにとって、祝福の舞となり得ます。愛は永遠であり、死は一時の別れに過ぎません。
「色即是空、空即是色……」 死とは生、別れとは出会い。私たちは再び、心の彼岸へと共に還るのです。
「無無明、亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽……」 《心経》の調べは止むことなく、愛と慈悲もまた永遠に尽きることはありません。
アンコールとして金澤さんが選んだのは、ブロードウェイ・ミュージカル『キャッツ』より《メモリー》。
その歌は、記憶の終わりであり、新しい一日の始まりでもありました。
この音楽会では、亡き人への祈りを捧げ、新たな命への祝福をも届けました。
純粋で神聖な歌声で、金澤博さんはグリザベラのように「天上への道」を一歩一歩導きました。浄化の階段を登り、音楽が神聖な領域と交わるまで——死を通して生命は昇華し、再生へと向かうのです。
「人の声は最もシンプルな楽器、そして最も美しい楽器でもある。」 音楽教育を受けてきた金澤さんですが、心からの真摯な想いで奏でる声こそが、最も美しい音楽であり、最高の歌声であると語ります。
演奏後には、台湾ポップス界の著名な音楽家・許景淳(シュー・チンチュン)さんが登場し、母を想う台語の詩歌を披露しました。
「目を合わせ、共に歌ったとき、私は直感しました。許さんは美しい歌声だけでなく、音楽への深い愛と真心を持っている。それこそが、良い音楽にとって最も大切な要素なのです。」と、金澤博さんは語りました。
情と藝の融合——音楽の至高なる形
今年四十五歳の金澤博さんは、十歳で歌を始めて以来、一日たりとも音楽から離れることはありませんでした。彼は言います——「音楽は人生の中心ではなく、人生そのものです。」
彼の音楽人生の大きな転機は、世界的な声楽教師Adrienne Angelとの出会いでした。彼女は「世界最高のボイストレーナー」と称され、多くの音楽家の魂に火を灯した人物です。この師との出会いが、自身の歌声と技術がどれほどの水準に達しているかを彼に気づかせ、何よりも自信を授けてくれました。
出会いの瞬間を、金澤さんはいまでも鮮明に覚えています。
「ようやく参加できた彼女のマスタークラス。嬉しさで胸がいっぱいでした。クラスでは全員が順番に歌わされ、ほとんどの生徒は一、二節で止められていました。けれど、私の番が来ると、彼女は最後まで歌わせてくれたのです。」
歌い終えたとき、彼女はこう言いました。「あなたはこのクラスを受ける必要がない。なぜここに来たの?何を学びたいの?」
その言葉に一瞬怯え、「何か間違えたのか」と戸惑いましたが、後にそれが最大の賛辞であると知りました。長年の努力と修練が、遂に知音に認められた瞬間でした。
以来、師弟として、そして家族のような心の絆で二人はつながり続けています。金澤さんは音楽の進展を常に彼女に報告し、今回の台湾・菩薩寺でのコンサートのことも、いち早く伝えたところ、彼女はとても喜んでくれました。
長年の舞台経験と訓練により、彼の技術は完成度を極めていますが、それでも金澤さんが最も大切にしているのは「心から湧き出る感情」です。
「本当に美しい歌声とは、内から滲み出る真実の感情から生まれるもの。」
そして、彼が信じる音楽の理想形——
「情と藝が一つに融け合う音楽こそ、最も完璧な表現なのです。」
声の厚みは、声の源から生まれる
金澤博さんの音楽人生は、ブロードウェイの音楽劇から始まりました。舞台の厳しさの中で日々技術を磨き、極限まで自分を鍛えた日々。しかし、やがて彼は華やかな舞台装置を手放し、原点に立ち返ります。純粋な人の声、そのままの音色で歌う——それこそが音楽の核心であり、天の調べに最も近い形であると、彼は気づいたのです。
西洋の民族音楽学界で注目を集めている「倍音唱法」や「ホーミー」も、まさに同じ根源的な声の探求です。外側の装飾が削ぎ落とされるほど、内側の力が強く凝縮され、真の自由が解き放たれます。
声の厚みを探すということは、声の出発点、魂のふるさとに帰る旅です。
トゥヴァやモンゴルの草原に響くホーミー、台湾の山に響く原住民の祈りの歌——それらは娯楽のためではなく、天地への感動を歌声に込め、天地へと捧げるものでした。
ゆえに、この原始的で素朴な歌の表現は、見た目には簡単に映りますが、実は非常に難しく、もし「声の厚み」が欠けていれば、その歌には「声動(しょうどう)」——心を動かす力が宿らないのです。金澤博さんが音楽を通じて追い求めているのは、まさにこの「声動」の力なのです。
今回の音楽会でも、金澤さんは正しい発声法のデモンストレーションと指導を行いました。発声には三つのステップがあるといいます:ウォーミングアップ、正しい姿勢、そして正しい呼吸。この中でも、姿勢と呼吸こそが正しい発声の鍵を握る要素です。
舞台に立つことと並んで、金澤博さんが情熱を注いでいるのは「音楽教育」です。彼の教え子には、10歳の子どもから80歳の高齢者まで、年齢を問わず幅広く、「教えるに類なし」の精神で、一人ひとりに向き合っています。
彼は強く言います——「正しい発声法を知らなかったために、喉を痛めたり身体に負担をかけてしまい、音楽活動を断念せざるを得なかった歌手は少なくない。正しい発声を知ることで、心身の健康を保ち、長く、そして幸せに歌い続けることができるのです。」
「心身が健やかであってこそ、美しい声が出る。正しい発声法があってこそ、良い歌がずっと歌い続けられる。そして、歌うことそのものが、心と体を整える最高の養生法です。」
彼の師であるAdrienne Angelが、90歳のいまもなお元気に指導を続けているのは、まさにこの正しい発声法を実践しているからに他なりません。彼女は金澤さんにいつも言います——「この技術を世界中に伝えていってください。みんなが健康に、楽しく、美しい声で歌えるように。」
それは、師弟ふたりが共に奏でる祈りのハーモニー。すべての人の中にある「歌ういのち」を、目覚めさせるために。
終章・余韻
音楽会の幕が静かに降りてからひと月余り——金澤博さんと共にあのひとときを過ごした友人たちの感想が、日本から静かに届き始めました。あの夜の余韻は、今もなお心の奥に息づいています。 国境を越えたご縁の結び
文:金澤 誠(金澤 博氏の父)
台中・菩薩寺で開催された演奏会は、荘厳で盛大、そして和やかで、本当に感動的な一日でした。主催者・協力者の皆様、そしてご来場いただいたすべての方々に、心より感謝申し上げます。
このすべての出来事は、人と人とのご縁、そして国境を越えたご縁の結晶です。小犬(息子)によれば、そもそものきっかけは、鄭先生の作られた衣を着てみたいという思いから始まりました。その後、文化芸術に深い造詣を持つ鄭先生と、ミュージカル声楽家である小犬が出会い、ご縁が芽吹き、数々の交流が始まったのです。鄭先生のチームは台湾から日本へ小犬の演奏会に駆けつけ、さらには台湾での録音の場まで整えてくださいました。
私は思います。鄭先生は文化や芸術が風化していくことを決して望まず、それらを人々に見せ、次の世代に伝えていく使命を果たしておられるのだと。まさにその信念が、この演奏会を生んだのです。
今回の演奏会には、台湾各地から多くの来賓が集まり、また日本からも、小犬の生徒、妹、叔母、そして私自身が参加させていただきました。
一人の演奏会とはいえ、菩薩寺に集まった皆様は、彼の声に込められた真情と響きに深く心を打たれたことでしょう。
母を想う歌や《般若心経》の演奏は、菩薩寺の葉さんから依頼されたものと伺いました。私はその歌声に、我を忘れて聴き入ってしまいました。全員で《心経》を合唱したときの熱気と高揚感は、まさに最高潮でした。来年も再演を、というお話に心から感謝申し上げます。そして葉さんからは、学校教育や医療現場でも活かせるようなさらなる提案もいただきました。
息子の歌声が、これほど多くの人のご縁を結んでいることに、父としてこの上ない喜びを感じております。
このご縁が末永く続き、ますます広がっていくことを願ってやみません。鄭先生に、葉さんに、そしてすべての方々に、心から感謝申し上げます。
強く共鳴する歌声
文:金澤 理惠(声楽家・金澤 博氏の妹)
初めて訪れた菩薩寺でしたが、どこか懐かしさを感じる場所でした。鄭先生が作ってくださった心地よい衣を身にまとい、台湾の地で兄の歌声を聴く――感動と忘れがたい一日でした。
子供の頃から、兄の歌声にはいつも心の奥底が揺さぶられるような、強い共鳴を感じていました。
兄が歌う中に一曲、ミラノを旅していた際に世話になった三つ編みの女性に捧げた歌があります。彼女はこう言いました――「私もかつて声楽家を夢見たことがある」。その言葉は兄の心に深く残り、今でも思い出すたびに胸が熱くなるのだそうです。
兄が愛する台湾の地で、尊敬する鄭先生のもと、もっと多くの台湾の方々に歌声を届けられますようにと願っています。
鄭先生、そして兄を支えてくださっているすべての皆さまに、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
一番の宝物
文:横山 壽美代
金澤先生が台湾で初めて開催された演奏会に参加できたことは、本当に幸運で、記念すべき出来事でした。美しい国、台湾を訪れることができただけでも幸せでしたが、荘厳な寺院の空間で、鄭惠中先生が用意してくださった美しい衣を身にまとい、優しい台湾の皆さんと一緒に金澤先生の歌声に耳を傾けたあのひとときは、今でも忘れられません。
この旅で私は多くの宝物を受け取りました。中でも、金澤先生が唱えてくださった『般若心経』は、まさに最上の贈り物でした。演奏会当日、先生と一緒に何度も唱えるうちに、自然と心に刻まれていきました。これが、私にとって今回の旅で最も大切な贈り物となりました。
またいつか台湾の皆さんと再会できることを願っています。最後に撮影した集合写真のとき、隣にいた台湾の方が優しく手を握ってくださいました。その温かさを思い出すだけで、今も心がほころびます。
時空を超えるエネルギー
文:諸山 朝子
私は2004年以降、金澤先生のすべての演奏会を聴いてきました。今回の菩薩寺でのコンサートは、開演前から他とは異なる空気が流れていました。緊張感ではなく、安心感、穏やかさ、親しみやすさ、そして温かさに包まれていました。台湾の皆さんの寛大な歓迎を心から感じました。
日本に戻ってからも、コンサートの空気や金澤先生の歌声が染み込んだ鄭先生の服を身につけると、不思議と、どんなに忙しくても心が自然と落ち着き、『般若心経』をふと口にすることがあります。
台湾から戻って以来、助けを必要としている人々と何度も出会いました。それは偶然ではないと感じています。
ありがとうございました。
身心魂を洗い清める感動
文:中田 惠子
菩薩寺は、私の想像していたお寺とは違い、とても現代的で、日常に溶け込んだような親しみを感じました。
仏堂の大殿、最前列の席に座り、目の前の仏さまが慈しみに満ちた眼差しで私を見つめている——その瞬間、心が洗われていくのを感じました。
金澤先生の日本の叙情歌を聴いているうちに、自然と涙があふれ出しました。そして皆で一緒に《般若心経》を唱えたとき、心も体も魂も、すべてが清らかに洗い流されるようでした。
今回初めて台湾を訪れましたが、台湾の皆さんの温かい心に触れ、大変感動しました。そして、私たち日本人が忘れかけている大切な何かが、まだここに息づいていると確信しました。
この貴重な体験に、心から感謝いたします。
母の日に聞いた、母への想いの歌
文:黒木 秀子
二〇一八年五月十三日、私は台湾・台中の菩薩寺で開催された音楽会に参加しました。金澤博先生が自ら作曲した《般若心経》を歌う中、最後の繰り返し部分を私たちと一緒に唱和してくださいました。そのとき、私は皆と一つになり、心からの祈りを捧げていました。
何を祈っていたのでしょうか——それは、先生が歌った日本の歌謡の中に《ママ》という一曲があったからです。翌日は世界中で祝われる「母の日」。《ママ》は私の心に強く響きました。先生の母は彼が十代の頃に他界され、その想いを込めて涙をこらえながら歌われたその歌は、まるで私たちを亡き親たちと再び繋げてくれるような不思議な力を持っていました。
かつて中国では、清明節の日には亡くなった人が戻ってくると聞いたことがあります。きっと、母の日もまた、私たちの想いが亡き母に届く日なのだと思います。
私の母は二〇〇九年五月五日に他界しました。日本では三回忌、七回忌、十三回忌と法要を行いますが、年を重ねるごとに、母のことを忘れたわけではないものの、特別に話しかけることは減っていました。
母は若い頃、お寺で裁縫を学びながら、《心経》を唱えていたそうです。年をとってからも、よく口ずさんでいました。
「声」というものは本当に不思議です。顔を思い出すのとは違い、声を聞くと、その人の存在がありありと甦ってきます。私は母の声をよく思い出します。
菩薩寺という静謐な空間で、《ママ》を聞いたあの瞬間、まるで母の声が耳元に響いたようで、あと一歩で母と手を繋げるような気がしました。
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」——《心経》を唱えているうちに、自然と心の中で母に呼びかけていました。「お母さん、そこにいるの? 一緒に歌ってるの……?」
音楽会のあと、祈願符を木の枝に結びながら、私は心の中で母に感謝を伝えました。「お母さん、ありがとう。今も私と一緒にいてくれて。」
こんなに素直で、心の琴線に触れる体験をさせてくださった皆さんに、心から感謝します。
衣から歌へ――美しき因縁のめぐり
文/金澤 博
まず初めに、私にとって初の台湾公演が実現したことに、心から感謝を申し上げます。
以前から台湾に関心はありましたが、私の背中を押してくれたのは——鄭先生の衣でした。
松浦弥太郎さんの著書で鄭先生の衣が紹介されており、その写真を見た瞬間、私は衝撃を受けました。「なんて美しく、哲学的な服なんだろう……」と。以来、私は毎日のように「台湾へ行きたい」「この衣に会いたい」と願っていました。
幸運なことに、松浦さんの紹介を通じて台湾を訪れ、鄭先生のアトリエを訪問する機会を得ました。衣の一枚一枚に心を打たれ、それ以来、少しずつ買い揃えて、今では鄭先生の衣がなければ私の日常は成立しません。
「衣」が出会いの始まりでした。そして今では、私の演奏会の企画や構成、小冊子の制作に至るまで、全て鄭先生との共創によって実現しています。
ある日、鄭先生がこうおっしゃいました——「私は人のために生きています。仏教と芸術は、未来のために融合するものなのです。」
鄭先生が衣で、私は音楽で。私たちはそれぞれの道で、共通の願いのために生きています。そして、音楽は歌い手だけでは成り立ちません。聴き手がいてこそ、音楽は命を得るのです。独りで完結するのではなく、他者と関わり、分かち合うことの中にこそ、未来と歓びがあります。
このようなご縁と、菩薩寺の温かなご厚意によって、この演奏会は実現しました。
2017年11月、私は初めて菩薩寺を訪れました。
その清らかな空間は、日本人が一般に抱く「お寺」というイメージを優しく覆し、深く感動しました。「ここには本物の“こころ”がある」と、私はそう感じたのです。
演奏会場は本堂——その厳かな場所で歌うことに、私は震えました。
葉さんが「心経に曲をつけて、みんなで一緒に歌いましょう」とおっしゃった時、私はとてもワクワクしました。でも同時に、身が引き締まる想いもありました。
私の心に決めたのは——この演奏会は、鄭先生の寛容なる心、そして菩薩寺に流れる仏の息吹、すべてに自分を委ねよう、と。
この流れに身を委ねれば、私の音楽が関わるすべての人にとって、美しく意味のあるものになる——そう信じて。
日本に戻ってから作曲を始めましたが、《心経》に向き合うほど、その重みを感じて戸惑いました。一字一句に旋律をつけることが、これほど難しいとは……
何度も書き直し、気がつけば2018年になっていました。
その日も私は、ひとり録音室に籠って作業をしていました。
《心経》——これは、菩薩と舎利子の対話だ。私は歌詞ではなく、この「対話」に曲をつけるのだ……と気づいた時、「そうか、これはオペラだ!ミュージカルだ!」と。
キリスト教音楽は「賛美歌」であり、神を讃えるものです。
私は西洋声楽を学んできました。つまり、讃美を根幹とする音楽世界に身を置いてきたのです。
であれば、私は《心経》を仏教的な対話劇とし、西洋音楽の「賛美」の精神と融合させて、高らかに謳うことができる!
私は進むべき道を見出しました。
すると、音楽が天から降ってくるように、旋律が私の内に響き始めました。
2018年5月11日、私は生徒、ファン、家族を連れて台湾へ。
みんな鄭先生の衣をまとい、笑顔でいっぱい。その光景は、今も私の宝物です。
夜、菩薩寺での最終リハーサル。
心から、準備に奔走してくれたすべての方々への感謝でいっぱいでした。
葉さんを中心に、全員での会議。その光景は一生忘れません。
私は母との思い出を語り、毎回母を想って選ぶ演奏曲についても話しました。
そして、母が演奏会を聴けるように——本堂に母の名前を書き、供養しました。
「もう準備は整った」——そう思えた瞬間でした。
当日、私の心は晴れ渡る空のように澄み、緊張も不安もなく、まるで自宅で歌うような気持ちで臨みました。
言語は日本語でも、そこにある音と心は、国境も言葉も超えて響き合う。
日本歌謡、弘一法師の歌、そして《心経》……大殿には言葉では言い表せぬ空気が満ちていました。
私の真心から歌った歌が、皆の真心へ届き、その心が私に還ってくる——見えない想いの流れを確かに感じました。
何より嬉しかったのは、《心経》を皆で合唱し、ロウソクを灯して本尊にお供えできたことです。
最後に、葉さんが「来年も菩薩寺でやりましょう」と言ってくださいました。
この演奏会は、私に無限の喜びを与えてくれました。そしてまた、次の世界への扉を開いてくれたのです。
これからも、大好きな台湾で、大切な皆さんと歌い続けていきたい——それが、私の一生の仕事です。
最後にもう一度、鄭先生、鄭先生のスタッフの皆さん、葉さん、菩薩寺の皆さまに深く感謝申し上げます。
そして、いつも中国語が話せない私を助けてくださる蔡金宏さん、長年私の活動を支えてくださっている高橋哲哉さんにも、心より感謝いたします。
本当に、ありがとうございました。
菩薩寺の静謐で清らかな空間にて、水は静かに流れ、仏法の古く深遠なる真理が、打ちっぱなしコンクリートの現代的建築に宿る簡素な美のなかで、静かに、しかし確かに発酵していく。あの日の音楽会を思い返すと、金澤博先生のまろやかで豊かな歌声が堂内に響きわたり、仏前にて悠然と舞い上がる。そのとき水はなおも静かに流れ続け、まるで湧き上がっていたのは、尽きることのない「愛」と「慈しみ」であったかのように感じられた……。
IBS菩薩寺 International Bodhisattva Sangha(国際菩薩僧団)
ひとたび風月を仰げば、万里の空が広がる。
山門の前に佇む老いた梅の石は、歳月のめぐりの中で、深遠なる縁起を沈黙のままに説いている。
さあ、私たちも共に「菩薩の家」へ還り、仏陀の足跡を辿りながら、生命の真理を探求しよう。
「自らを拠り所とし、法を拠り所とせよ。他を拠り所とすることなかれ。」
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